弱み思考 -自分の弱点を価値にするビジネス企画術-
10 / 11 / 21「弱み」こそが自分の強み
人生を救ってくれたのはいつも「弱さ」でした。
物心ついたときから、自分が周りの人たちに比べても「弱い」という自覚を持っていました。ケンカをすれば転ばされ、言葉で泣かされ、人前で話せず、友達を上手く作れず、かけっこをすると負け、ドッジボールをすると狙われ、心臓が悪く、すぐ風邪をひき……。
とにかく弱かったし、今も弱いです。 周りの友達もいじめっ子も、親も親戚も、自分以外はみんな強いものだと思っていました。
今思うと、誰しもが弱さを抱え、ときには隠したりしながら生きていたのだと思います。
その弱さが僕を守り、現在の幸せな人生へと導いてくれていました。
幼いころから心臓が悪く、他のクラスメイトと一緒にスポーツができなかった僕は、必然的にみんなより自由な時間が増えることになりました。
そんな僕に親は「勉強をしろ」と厳しく言いました。何かしないといけないという親としての焦りがあったのかもしれません。
勉強が好きなわけでもなかったけれど、100点満点でないと親に叱られるという家庭環境により、ときには泣きながらテストの成績トップを常に目指していました。そのことが良かったかどうかははっきりとはわかりませんが、「成績がいい」ということが、唯一自分を支える一筋の光であり、生きがいでした。それがなかったら自己肯定感と言うものは完全にゼロになっていたと思います。意味もよくわからないまま、そこまで勉強を頑張れた理由は、他に何も持っていなかったからです。運動ができないことを始め、いろいろな弱さに悩み、弱い分野のことを捨てた結果、勉強ができるという「強み」ができました。
弱みから、強みが生まれたのです。
他にも、弱みが自分を救ったことはたくさんあります。
友達が少し悪い遊びをしていたときに、気が弱くてついていくことができませんでした。そのおかげで真面目に生きてくることができたのかもしれません。
心臓が悪くて野球部に入ることができず、栽培クラブと言う部活に入りました。このとき、先生と2人きりで中庭で多くの時間を過ごし、今も大切にしているたくさんの面白いことを教えてもらいました。
他の友達より暇な時間も多くあったので、4年生の夏休みは毎日一人でプールに行きました。腕の力も体力もないのでクロールができず、ひたすら平泳ぎばかりしていたら、その年の水泳大会で学年で優勝しました。野球部の全員より早く平泳ぎができるようになっていました。
5年生の時はプログラミングにはまりました。父親が買ったパソコンをこっそり使い、マニュアルを読み、父親もできないであろうBASICというプログラミング言語でゲームを作り始めました。もし運動が得意だったら、女子にモテていたら、野球部に入っていたら、このような行動はしていなかったはずです。
強みが弱みに変わる瞬間もある
受験勉強が上手くいっていることが唯一自分を保つアイデンティティだった僕は、希望する大学の学部に行くことができました。ロボットやプログラミングを学ぶ学部でした。
そして、全国から集まった同級生とともに勉強を始め、僕は早々に学問に関心がなくなりました。周りの同級生が軒並み自分より優秀だったのです。もう少し正確に言うと、同級生たちは本質的に勉強や研究が好きでした。僕は、成績がいい自分や点数がとれる自分が好きだったんです。その違いは大きく、僕は学びに喜ぶ同級生たちを見てどんどん落ちこぼれていきました。
強みが、弱みに変わろうとしていました。
弱みは時代や環境によって、強みに変異します。そして逆に強みもまた、弱みに変わることがあります。
勉強したおかげでテストの点数は取れていたし、そのおかげで大学にも入れたし、自分が折れないように支えてくれました。だから、確かに僕の中高生時代の強みではあったけれども、大学に入ったとき、弱みに変わり始めた。最初は周りの学生との相対的な弱みだったけれど、「好きじゃない」となった時点で完全に弱みに転換しました。
僕の「勉強」についての例は、そもそも強みではなく、「強みと見せかけた弱み」だったのかもしれません。
ともかく僕を10年以上支えてきた「勉強ができる」という強みは、「勉強ができない」という弱みに変わっていくのですが、これは次の新しい強みを生み出すためのサインであり、僕の成長だったのです。
その後僕は、「お笑い」にのめりこんでいくことになります。将来これが僕の強みになっていくわけです。その話をしたいと思います。
勉強をつまらないと感じ始めたもう一つの理由がありました。
ずっとひそかに憧れていた、お笑いサークル「落研」に入ったのです。
僕は中高時代からテレビのお笑いが好きで、お笑い芸人は最も能力が高い人種だと思っていました。「人を笑わせることを思いついたりしゃべったりするのは凄い。本当に頭がいいとはこのことだ。自分もできるようになりたい。」そう思っていました。
何よりも、僕は人生一度でいいから、モテてみたかったのです。女子にキャーキャー言われたかった。人気者になりたかった。教室でひょうきんなことを言ってみんなに囲まれてワイワイと笑われているクラスメイトがずっとうらやましかったのです。(あんな奴、全然おもしろくねーじゃん。俺の方が面白い。とか心の中で思ってひがんでいました。)
大学に入って地元の不良たちから逃れられた僕は、さっそく落研の門をたたきました。
憧れのお笑いをすることになった僕は、さっそく先輩に落語なるものを教わりながら練習を開始しました。部室にあったたくさんのカセットテープを家に持ち帰ってMDに録音し、聞きながら台本に文字起こしをして、古典落語を暗記し始めました。初めての一人暮らしで借りた狭いアパートで、壁に向かってブツブツと稽古をし、何か月も練習をしました。
初めての舞台は、高齢者の方々が過ごす福祉施設でした。そこで数十人の人たちを前に落語を演じることになったわけなのですが、そのような経験を一切したことがなかった僕は、
強いイメージを持たれると苦労する
話は少し飛びますが、僕は「イケメン不利説」というとんでもない歪んだ仮説を持って生きてきました。見た目が骸骨のような僕個人のひがみとして聞いて下さい。
イケメンにもいろいろいますが、ここでいうイケメンのメンは「面」、つまりとりあえず顔や全身を含めた容姿がいいイケメンです。
イケメンは当然モテます。特に中高生時代はイケメンが最強です。
しかし、イケメンは生きていくのが実はまあまあ大変なんじゃないかなあ、と僕は想像してしまいます。
例えば、僕がビジネス現場の厳粛な会議で、絶対に実現性がないアホな企画を出すと、笑われたり呆れられたりしつつも、特に失うものがありません。生まれ持った才能であるイメージの「変態性」のおかげで、また変な奴が変なことを言っている、となるからです。正直タイミングによっては「やっぱりこいつは変態だから、新しいものを生み出すかもしれない」と思ってもらえることさえあります。もちろんこれは、自分の容姿だけが理由ではなく、「ちょっとおかしい奴」という作り上げてきたブランディングも効いているわけですが、ひょろひょろした見た目やちょっと変な間のしゃべり方が、アホな企画を言っても許されるように後押ししていることは否定できません。
一方、イケメンが厳粛なビジネスの現場でちょっとアホなことを発言すると、「あれ? この人って、デキそうに見えるけど、もしかしてちょっぴりアホなんじゃ……?」と思われる可能性があると思うんです。(この考え方、、どうしようもなく歪んでいますね。悪意はないので、お許しください)
誤解を恐れず言いたいのは、強いと思われていた人が「弱み」の見せ方に失敗すると、イメージダウンしてしまう可能性があるということなのです。
僕が道でつまづいて転ぶと笑いが起こってちょっとみんな幸せな感じになりますが、イケメンが道でつまづいて転ぶとみんな「あっ……」となります。イケメンも大変なんです。
一度もモテなかった男の歪んだ自己肯定論はこれくらいにしましょう。
よく聞く話で、不良が横断歩道でおばあちゃんの荷物を持ってあげるといい奴だと思われるからズルい、みたいな話がありますよね。(僕は中高時代に不良にボッコボコにされていたので、不良は認めませんが。)
これらはイメージの話で、最近は「期待値コントロール」という言葉でも語られます。
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弱いから働き方を変えられた
弱さとは、自分にとってマイナスのものなのでしょうか?
僕は、弱さこそ最強の強さだと思っています。
何か、とんちのような表現になっているかもしれませんが、自分の半生を振り返っても、他者の様々な事例を見ても、現実にそうなんです。
確かに、体が弱くて病気になりやすかったり、足腰を痛めやすかったりしたら、ツラいです。でも、そのことにより養生して生活することができるし、ちょっと体調が悪いなと思ったら、大事をとって休んだり、病院で検査をしたりするかもしれません。敏感であれば、体調不良に気づかずに突然倒れることがなく、長生きができるかもしれないわけです。
気が弱ければ、性格がキツい他人を苦手に感じるかもしれません。社会でのコミュニケーションに苦労するかもしれませんが、その分、自分と性格が合う人に巡り合った時に、その人の大切さが人一倍身に染みてよくわかるかもしれません。
僕は、心身の弱さは仕事においてとても強い武器になると考えています。
まず、自分にとってサステナブル(持続可能)な働き方を見つけることができます。僕も10年間務めた大企業を辞めて独立起業するという、ある意味強い選択をすることができた理由は、弱さでした。
当時はまだ働き方改革の考え方や、リモートワークなどもなかったので、真面目な僕は毎日始業2時間前に出社し、終電で帰っていました。その結果、体を壊すこともしばしばで、ついに一度本当に病気で倒れてしまい、ほぼ寝たきりの生活になって会社を1年半休職することになりました。その経験から、「もう二度と倒れることは許されない」ということがはっきりとわかり、何よりも強い価値観になりました。それがあったから、もう一度体調が悪くなりそうな兆しが見えたときに、僕はあっさり会社を辞めました。
体が強かったら今も大企業にいたと思います。そのこと自体は悪いことではありませんが、独立起業した僕は、たくさんの新しい出会いに恵まれ、自分のペースで自分が得意な仕事をして人の役に立つことができています。
弱さによって、自分に向いている幸せな働き方に方向を転換することができたのです。
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弱いだけではダメである
僕は、弱さ
ここまで
・弱さは差別化が効く
・弱さこそイノベーションの源泉あ
人は、他者の弱さに共感する
自分が企画開発をしたり、それに携わらせて頂いたりした商品には、自分自身の「弱さ」を源泉としたものが非常に多くあります。ほとんど全てかもしれません。
もう15年も前の話になりますが、会社員時代に自分が企画開発をさせて頂いて初めてある程度「売れた」と言えた商品が、「Human Player」というものでした。
どんな商品かを簡単に言うと、
性格診断の50の質問に答えると心理学的理論で自分の性格がわかり、自分にそっくりな自分がたまごっちのように画面に表れて生活をし始める、という白黒液晶玩具です。
ずぼらな性格の人は仕事中に携帯電話をいじっていたり、心配性な性格の人はお腹を痛めたり……。自分自身や友達を登録していって、自分の身の回りの人たちが液晶端末の中で暮らしているような感覚で眺め、一人一人のその時刻の暮らしを観察したり、ゲームをしたりして遊ぶというものです。(性格的に相性の良い人たちは一緒に飲み会に行ったり、男女で付き合いだしたりする、というところも面白い点でした。)
開発途中に会社のいろいろな方にテストプレイをして頂いた時も、「似てる!」と評判になり、発売後もコンセプトが受けてよく売れました。
この商品は、当時は意識していませんでしたが、まさに人の「弱さ」を面白さに変えた商品でした。
そもそもこの商品のコンセプトを思いついたきっかけは、会社の先輩方との飲み会でした。会社のメンバーで飲み会に行くと、毎回のように話は「誰々はどういう人だ」とかいう人のうわさ話、いわゆる「内輪ネタ」でした。人は人の話が一番好きなんだなあと改めて思いました。
そして、人のうわさと言えば、もちろん褒める話もありますが大概は誰かの弱いところを「イジる」ことで楽しむことが多くなります。もちろん、意地悪ばかり言うわけではなく、可愛がったり、面白がったり、心配したり……、という話が多いのですが、ともかく人は、他の人の「弱さ」を楽しみ、自分の弱さを慰めたり、認めたりして生きているものなんだなあと思ったものです。
Human Playerという玩具は、そんな経験から生まれたものでした。
プログラムによって分析され、アニメーションで表現される人の性格というものはそのほとんどが、「弱さの誇張表現」でした。企画段階で自然にそうなっていました。弱さを表現しないと一向に面白くならないのです。例えば真面目な性格の人が真面目に頑張っているところをゲーム上で描いても、「ふーん」という感じになってしまいますが、ちょっとだけアレンジして、その人が1日のうちに何度も熱く意識高い感じの打ち合わせをしている表現にすると、「ああ、あの人はこういう意識高い行動をするよね」というように、その人の強みであるはずの部分を弱みととらえて笑いが生まれます。
強みは弱み、弱みは強みです。
しかしながら人が他者を見て愛するのは「弱み」の方です。人は弱みを隠すのではなく、自分の弱みを他の人に癒しや笑いを与える「価値」にすることこそ、仕事なのだと僕は考えています。
自分の弱みを自信満々に語るべし
人の強み・弱みは以下の図のような4象限マトリクスで分けられます。
スライド2
横軸が「強み・弱み」、縦軸が「改善したい・そのままでいい」です。
たとえば僕自身の強み・弱みを具体的に当てはめると、こんな感じになります。
スライド4
まず武器にするべきなのは第3象限の、「そのままでいい弱み」。つまり、もうあきらめて一生を共にしていく弱みです。それを自信満々に語ることが第一のポイントになります。
例えば僕の場合、身長184cm・体重52kgという超極細体系と、実物を見ると明らかに弱々しい青白い顔立ちを天より与えられています。まず、この見た目のおかげですべてが上手く行っていると僕はよく話しています。
10代の頃はこの体系がコンプレックスでしたが、今はラッキーだと思っています。この姿でフラフラと、かつニコニコしながら現れると、少なくとも害はない人間だと思われることが多く、だいぶ得をしています。
こう言うとみんな「なるほど、弱々しい外見が武器なんだね~」と納得してくれるのですが、実はそうでもありません。これは僕のやり口のネタばらしになってしまうのですが、見た目がポイントなのではなく、見た目を自信満々に語っていることがポイントです。
冷静に考えたらそんなに得なはずがない見た目を、「これが武器で上手くいっている」と宣言することで、たいていの人は「(なんかよくわからないけど..、)この人は奥が深そうだな」と思ってしまいます。でも結局それはツッコミどころなので、弱々しい見た目は公然とイジられ始め、笑いに変わり、周囲に安心感を与えていきます。別に見た目が弱々しいから何かが凄いなんてことは一切ありません。
初対面の人に自己紹介をするときは、もちろん強みや得意分野を初めに話すでしょう。しかしそれだけで終わると、「この人、すごい人かも…」と思われて相手に距離を感じさせたり、あまり関心を持ってもらえなかったりすることがあります。人はどちらかと言うと相手の「弱み」を知ったときに、より関心を持つのが性です。愛される瞬間は、その人の弱みが垣間見えたときです。イケメンで頭が良いサッカー部のキャプテンが好かれるのは中学生時代くらいの話で、大人になると、強みが前面に出ている人は、すごがられるようになります。大人になるとみんな自分が弱いことを自覚し、それをあきらめて生きるようになるからです。相手にも弱みがあることを知って初めて、人は相手に共感し、安心します。変えられない弱みは、「愛され力」という強みに変わります。
この話をイベントなどですると、よくこんな質問をされます。
「私の弱みは、ついキツい言葉を使ってしまうことで、それは笑いには変わらないし、愛されないものなのですが、そんなときはどうしたらいいでしょう。」
それに対する僕の答えは明確で、いかなる弱みでも、それを自信満々に語るだけです。「私はいつもキツいことばかり言っちゃうところがチャームポイントで、それで上手くいっているんです」と。普通に考えたら弱点だと思われやすい性質であるほど、これが効いてきます。
自分の変えられない弱みをネガティブに話す人は、気を遣われます。しかし、変えられない弱みを自信満々に話す人はなぜかチャーミングに見え、そのうち必ずその弱みをイジってもらえるようになり、笑われて、安心されて、愛されます。弱みを、悲壮感を出しながら話してはダメです。誰も幸せになりません。(ちなみに、僕が大好きな異性のタイプは昔から、実際はどうあれ「私の長所は顔がカワイイこと」と言っている人です。自分の妻もそうでした。)
さらに言うと、近くに1人、自分をイジり倒してくれるパートナーがいれば、より上手くいくことがあります。例えば自分がついつい社内でキツいことを言っているときに、「お、キツみが出てる、キツみが。」みたいに言ってくれるツッコミ役がいると、笑われ力と愛され力がより発揮されたりします。
弱みとのギャップにより、強みを最大化する
自分の能力とは「強み・弱み」のセットです。強み・弱みマトリクスの中でポイントになるのは、第1象限の「さらに磨きたい強み」と、第3象限の「そのままでいい弱み」の対比です。できれば、他人とのコミュニケーションは、最初に弱みから話し始めるのが良いと思います。
スライド5
例えば僕の場合、おもちゃ開発者のくせに絵が描けません。デザインの類はすべてデザイナーさんにお願いをしています。自分が絵を上手くなろうとは全く思いません。一生自分で描かないことを決め、Adobeのソフトすら数年前に手放しました。
一方、強みはおもちゃの企画を考えられることですが、仕事上のコミュニケーションの流れとして、「僕には商品企画力があります!」といきなり言われても、ほとんどの人が「ふーん」で終わってしまうところが、「僕、おもちゃ開発者なのに絵がめちゃくちゃでして!」と言うと、「うちに優秀なデザイナーがたくさんいるよ。でも、ネタがなくてね~」というような話が引き出され、「じゃあ僕に企画考えさせていただけませんか」というようなマッチングが生まれます。僕の仕事の始まりはだいたいこんな感じです。そして、弱みから入ることでギャップが生まれるせいか、「こいつ思ったよりすごいな」と褒めてもらえます。
人は、まず自分が相手の弱みをサポートしてあげることができるとわかったときに幸せを感じ、力を発揮します。相手が強みを発揮できるように自分の弱みを先にさらけ出すことがで、運命のパートナーが見つかり、「合わさって」行くことができます。すごさで選ばれていると、もっとすごい人が現れたときに代替されるかもしれませんが、弱さで選ばれていると、人生の友達になれます。
別の例で言うと、僕はいろいろな会社のアイデア会議をお手伝いしていますが、そこでやっていることはだいたい、率先してダメなアイデアを言うことで、「こいつよりはいいアイデアを思いついた」ということが起きるようにしています。(そう言うと計算しているように聞こえますが、本当にダメなアイデアばかり思いつくし、ダメなことを思いついたらすぐ言いたくなる悪い癖があるだけです。)個人的にこれを「赤ちゃんプレイ」と呼んでいます。まず周りに僕を支えてもらうという。で、最終は発案者のアイデアを具現化するときに力を発揮しているつもりです。
弱みは強みに変えられると言っても、結局は自分が一生磨き続けたいと思える強みがなければ、弱みも活きてきません。今すぐに思いつかなくても、自分が高みを目指したいと思える「強み」を見つけて、悩み苦しみながら一歩ずつ成長させていく姿勢が必要です。弱みを振りかざすだけで上手くいくわけではありません。
「克服したい弱み」を最強のコンテンツにする
スライド6
弱みには、別にこのまま一生を共にしてよい弱みと、克服したい弱みがあります。自分の弱み全部をそのままでいいとあきらめられるならそれが一番幸せだと思うのですが、そう言われた時に、今のまま一生生きることを想像したらあれは絶対やだなと思う「あきらめられないこと」が、克服したい弱みです。試しに考えてみると、1つ、2つ…と思い浮かんでくるかもしれません。
そんな「克服したい弱み」は、自分の最強のコンテンツに化ける可能性があります。
僕は、自分のコンプレックスを解決するおもちゃをよく開発します。
親とのコミュニケーションがうまくできないことが長年の悩みだから、以下の「スマホ鳩時計OQTA」に携わったり、
クリスマスに彼女と過ごしたことが1回もなくて、昔はものすごく悩んでいたから、「VRクリスマスケーキ」を作らせて頂いたり、
クリスマスは戸松遥さんと一緒! | アニメイトタイムズ
【アニメイトタイムズ】本日、Yahoo!ショッピングクリスマス特別企画”すごい”コラボケーキ サプライズケーキプロジェクト
www.animatetimes.com
奥さんと子育てのことでイライラし合って切実に大変だった頃に、「アンガーマネジメントゲーム」を作らせて頂いたり、
アンガーマネジメントゲーム(みんなの怒りのツボを当てろ!)
amzn.to
2,160円
(2020月08月25日 03:05 詳しくはこちら)
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月曜日に毎週お腹が痛くなって本当につらいから、自分がそれを克服するために、月曜日の憂鬱を減らす方法をいろいろな達人に聞く連載の仕事をやらせて頂いたり。
「瓦割り」が月曜の憂鬱を解消する意外な理由とは?|@DIME アットダイム
◆高橋晋平の憂鬱な月曜日を楽しくする研究会日本には、休日明けの月曜が嫌いな人が多すぎる……。その現状を改善するため、月曜日
dime.jp
そもそもおもちゃ開発者になったのも、高校時代まで無口で暗い性格だったから、人を笑わせる芸人みたいな仕事をしたいと喰らいついた執念からでした。しゃべりが得意になったのもコンプレックスをバネにしてのことです。「克服したい弱み」は、自分を爆発的に成長させるかもしれない伸びしろです。
自分が長年変えたいと思ってきた弱みには、自分と社会にイノベーションを起こせる可能性が秘められています。世界には、似たような弱みで悩んでいる他の誰かが必ずいるからです。自分の最大の弱点を企画の材料にすれば、世界で自分にしかできないたった一つの仕事ができるかもしれません。それこそが、この世の他の誰かを幸せにする仕事です。仕事は自分の強みで誰かに貢献することでもあり、弱みで誰かに貢献することでもあります。
ちなみに今僕は、「筋トレを続けられる企画」「部屋を片付けられる企画」などを考えています。すべて自分が切実に変えたい弱みを克服する企画です。「俺得」な企画こそ、本気でクオリティの高いものを実現させられて、自分以外の人にも価値を与えられる、自分が人生を賭けて形にしたいコンテンツになります。
弱いから、人を愛せる
僕は一度仕事で完全な天狗になったことがあります。自分は強くなったのだと思っていました。大企業に勤め、その中でヒット商品を連発し、社長賞も獲り、業界の賞も獲り、思いつく商品みな売れる気しかしないという状況になったことがありました。そしてその直後に倒れて1年半動けなくなり、あっさり会社を病気による自動的退職、つまりクビになりました。
後に振り返って思うのが、人は誰しも、ダークサイドに堕ちる可能性を秘めているんだろうということです。仕事が上手くいきすぎたとき、先輩に軽口を叩いたり、取材を受けている途中に構わず電話を取ったり、そんな最悪な行動を取っていました。他人よりも自分が好きでした。そんな僕を、僕の弱々しい体がぶっ倒して立ち止まらせてくれました。
このエピソードすべてをひっくるめたものが僕の弱さです。僕は今でも心が弱いままで、いつも何かの不安を抱えながら生きていますが、弱いことを自覚したことで人生が変わりました。自分が頑張れる範囲を分かったり、無理なことをあきらめて望む人生や家族や健康を守れたりするのも弱さのおかげです。(ちなみにうちの夫婦ゲンカの終わり方は、僕が「畜生!相撲で勝負だ!」と言って奥さんに組み付いて投げ飛ばされて終わります。娘たちがケンカしていたらそばに言って「オギャア!」というと、二人で力を合わせて僕のお世話をし始めます。これが弱さの効力だと思っています。)
人は一人では何も成し遂げられないし、人に甘えて頼るには、弱さが必要です。弱さをさらけ出すことは恥ずかしいことではなく、相手に助けてもらう代わりに相手へ贈るプレゼントだと思います。おこがましい表現かもしれませんが、弱さというプレゼント交換によって、人は人を好きになりながら、誰かの役に立ちながら生きているのだと思います。
みなさんに今、悩んでいる弱みがあるならば、それは宝物です。それを自信満々に話し始めたとき、人生は思わぬ方向に開けていくのかもしれません。
弱い嫉妬心こそが変わる原動力
僕は昔から嫉妬心を持ちやすい性格で、そんな自分が嫌だなあと思ってきました。
他の人なんて気にしないで、自分に自信をもって生きていられたらいいのですが、ないものねだりをして、自分が得意でもない分野で成功している人を羨ましく思っていた時代もあります。
嫉妬心はまさに、弱さから生まれるものだと思います。
しかしながら、この嫉妬心により成功してきたことが多々あるのも事実です。
新卒で会社に入って約2年間、僕は企画をほとんど通せず、当然ヒットも出せませんでした。「今の時代、おもちゃは下火だ」とか、自分の仕事を否定するようなことを言うろくでもない新人でした。
入社して約1年半たった秋に、20Q(トゥエンティーキュー)というおもちゃがアメリカから輸入され、僕がいた部署から発売されることになりました。頭の中に何かを思い浮かべて、「それは食べ物ですか?」「それは動きますか?」などと、20個の質問にYES/NOで答えていくと、思い浮かべていたものをそのデバイスが当てるというものです。スマートフォンアプリに「Akinator(アキネイター)」というものがありますが、その、あらゆるものを当てる版、というイメージです。
20Qの発売日に店頭実演販売を手伝ったところ、目の前で、1日でその2000円の商品が100個売れたのです。特に僕が大したセールストークも言っていないのに、遊んだお客さんが驚いて、笑って、買っていくのです。
僕は20Qにものすごい嫉妬をしました。そして自分の発言や行動を猛省しました。環境のせいにしていたけれど、ただ自分が面白いものを考えられていなかっただけだったと。
それから1年後に「Human Player」という商品がヒットし、その翌年には「∞プチプチ」、さらに翌年に「∞エダマメ」など、ヒット商品を連発することになります。
この頃は正直言って「闘争心」でものを作っていました。会社の同期の子たちや、世の中のクリエーターよりも売れるものを作ってやる。というか売ってやる。みたいな感じで燃えていました。
ちなみにこの「闘争心」は、弱さから来ています。そして今では、あまりいい部類のものではない気がします。ただ、とにかく僕は成功していきました。そして倒れました。
弱さこそがイノベーションの源泉
自分がこれまで
・20Q
・克服したい弱みと、克服しなくていい弱み